先日、知人の家族2組と一緒に梅もぎをした。筆者は毎年行っている事であるが、知人の家族たちは初めての体験であった。梅もぎ体験に大人も子供も全員大喜びで、梅の実の手触りや香りを実感したと言う。
さて、本当の知識を得る手段は、昔は日常生活や仕事を通して蓄積した。やがて、印刷機の登場で本が知識を得る大きな手段になった。結果、本をたくさん読む人が知識人として重視された。近年はテレビ・インターネット等によって、読書をしなくてもあらゆる知識( 情報) が簡単に入手可能になった。但し単なる知識の多くは仕事の工夫や生活の利便性に役立つが、人格形成や学問修養の向上にはあまり貢献しない。知識の習得は、第1段階として学校で基礎を学び、読書や体験等の各種見聞を広める事によって充実する。テレビやインターネットだけでは本当の知識は充実しない。注意すべきは、デジタル化社会の進展に伴い、今後ますます情報の一人歩きが懸念される。交渉や対話によって決める自己判断を放棄して、各種情報の指示通りに行動する社会が人類の幸せになるのか疑問である。情報が自分にとって適正かもしくは有用か等の判定は、蓄積した知識の質量に左右される。本当の知識は、対話・読書・体験等によって得られるのではなかろうか。