いつの時代も公務員等に物を贈って(又は公務員が受取って)、社会から大きな批判を浴びる。その金高は区々であるが、大抵は失う地位や名誉と金高を比較すれば、割に合わない場合が多いと思う。
司馬遷の『史記』循吏列伝に、魯国の宰相だった公儀休(こうぎきゅう)の心得が載っている。ある人が魚が大好きな宰相に魚を贈ったが受取らなかった。理由を問うと、「好んで魚を食べるからこそ、受取らないのである。わしはいま宰相として、自分で魚を買って食べるのに事欠かない。いま魚を受取って免職されるようなことがあれば、誰がまたわしに魚をくれようか。だからわしは受取らないのだ」と答えた(小竹文夫・小竹武夫訳、筑摩世界文学大系)。この話は、中国唐代に呉兢(ごきょう)が著した『貞観政要』等にも紹介されている。
問題は民間会社同士が行う接待や贈答である。賄賂ではないが、商取引の公正が損なわれたり、個人の利益の為に会社が損害を受けたりする。これらが習慣になれば、社員が公私混同をしたり、つい相手の身分(公務員)を忘れて賄賂を贈ったりする。
飲食や贈答等による交際は、時には人間関係の潤滑油になる事もある。しかし、相手の立場を忘れて手段対応を誤れば、身を亡ぼす炎の源になる危険性が大いにある。